日本財団 図書館


 

一生懸命でした。くわしい検査の結果、流行性脳脊髄膜炎とわかり隔離病棟に移りました。(あとで聞いた話ですが、この年この病気が流行し亡くなったり障害が残った人がいたそうです)。兄姉にうつっていたら大変なことになっていたと思います。
小さな体で病気と戦い毎日、マイシン、ペニシリンを打って、体に注射の跡で打つ所がなくなり一本づつにしました。私は入院中はただ病気が治ることを祈り、一生懸命に看病しました。耳の聞こえなくなることなど考えもしません。高校生の私の弟が聞こえないことに気付き、おもちゃのガラガラを振っても振り向きませんでした。
私は大病のためと思っていましたが、先生は、「今、聞こえなくなると言葉が話せなくなる」と言われました。退院してみんながあやしても以前のように笑わず、このとき初めて哲夫は耳が聞こえないのではと思いました。
また尾木病院に行って話すと、「お母さん、悪いときは命だけでも助けてください、と言っていたのに欲が出ますね。耳さえ聞こえたら上等なのにねー」と残念そうな顔で、しみじみと哲夫の顔を見ました。
親にしてみれば、どうにかしてでも治したい気持ちでいっぱいでした。あちこちの病院へ診てもらいに行きました。そのうち、追い打ちをかけるように私が肺炎になり、子供とともに尾木病院に入院しました。
その後、日赤病院で診てもらい、紹介状を頂いて父親と三人で岡山の医大に行きました。そして先生に、「マイシンのために聞こえなくなったら、九十九パーセント治りません。また、ど

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION